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四国霊場八十八ヵ所参りの思い出

巡礼を初めて40年以上になります。この間、色んな人に出会い、色んな人の行動を目にしてきました。今でも、はっきりと目に浮かぶもの、なぜ、人をそこまで行動を起こさせるのか、と疑問を持ち続けています。思い出す度に、記憶をたどり、紹介したいと思います。
 

2308)宿る仏と出会う四国巡礼描画旅

四国巡礼とは大師の導きによる仏との出会いを求めた旅です。自ら弘法大師と出かける巡礼旅、想いを巡らす巡礼旅、描画による本尊との出会いを求めた巡礼旅など多数の巡礼旅がある。

自ら弘法大師と出かける巡礼旅は、すべての人ができるものではない。自ら旅立つことができない人がほとんどである。しかし、88ヵ所を巡礼したいと想い、ひたすら巡礼を想い描く巡礼者は多いことと思う。

私も思い巡らす一人である。巡礼は4回行ったが、巡礼旅は4回目であったと思う。亡き妻の供養旅であった。しかし、高齢となり、そう簡単に旅することもできない。

仏様を想い、出会いを求める方法として、各お寺の本尊を写仏描画する巡礼旅をすることとした。この度は、描画作品により、一人でも多くの人が思いめぐらし巡礼旅を楽しんでもらい、自分に宿る仏様とお会いする機会が生まれればとの想いで、毎日本尊や弘法大師像を描画している。

 四国霊場八十八カ寺は四国の宝です。いや、日本の宝です。いろんな分野の人が、いろんな環境下の人が、いろんな方法で、守り、育て、共に育つ道場が四国霊場であります。

 人々が守り育てた道場に巡礼者が足を踏み入れ、宿る仏様と向きあう自分を探し求めるのが巡礼です。 仏様との出会いを求め、描画する巡礼旅もその人独自の弘法大師との同行二人旅です。さらに、描画作品を通じて多くの人を巡礼旅に誘うことができる。

 人には、人それぞれの仏様を宿しています。宿る仏様はよき日も、悪い日も、旅人に寄り添い、微笑んでいるのです。 しかし、出会いの旅への行動を起こさない限り会うことはできません。弘法大師と旅すること、共に生活すること、人との出会いを求めない限り、手にできない仏様です。

  さあ、微笑を浮かべる仏様に会いに出かけましょう。この作品であなたが思い描く巡礼旅の世界に旅立ってください。素敵な仏様に出会うことでしょう。

 あなたの決心(発心)があなたの願いを結願させ、さらなる旅路へと誘うことでしょう。

 この作品集との出会いが、四国霊場への旅へと想いが広がり、自分に宿る仏様と同じく、多くの人に宿る仏様にお会いでることを願っています。

 作者も最後、最後と終わりなき四国霊場の描画旅に身を置いています。皆様に親しんでもらえる四国霊場が描けますよう共に歩ませていただければと願っています。

2306)新車を買う

車の免許証は長男が生まれた時に北島教習場に毎朝、仕事前に通って取った。最初に購入した車が非常に古いダイハツの軽自動車の中古であった。この車で、家内や子供達とよく遊びに出かけたものである。四国88ヶ所の一番霊山寺から10番切幡寺までの10か所参り、、田舎の鶴林寺や太龍寺、室戸岬の最御崎寺と出かけた。この車、中古というより廃車まえの車で、勝浦から鶴林寺までの坂道はエンジンがオバーヒートして一気に登れない、切幡寺の最後の急な坂は登れない、最御崎寺では、マフラーが取れ、白煙が立ち上る(針金で固定して徳島まで帰る)、エンジンの点火タイミングがずれる、点かプラグのすすなどトラブルの多い車であった。自分で直しながらであったが、家族と一緒に楽しい外出ができ、貴重な思い出でのある愛すべき車であった。また、この車は、魚釣りが好きな父親と一緒に釣りにもよく出かけた車で親が大変喜んでくれた車でもあった。

 ある日、父親から普通車を買わないのかと言われた。あまりにも古い車に乗っていたので、ひょっとすると車代金の一部でも出してくれるのかと思い、学校でお金を借り、新車のカローラを購入することとした。

 購入した車を持って親に報告すると、親から一言「88ヶ所参りに行きたい」と言われた。家も建て、子供は3人、給料も少ない、苦労して借金を返済する羽目になった(当時の利子は6%(?より以上か))。家内に苦労を掛けてしまったことを思い出す。

 お金を出してくれるものと思い、新車にしたのにと思いつつ、毎年夏休みに両親と家内の母親の4人で一週間程度88ヶ所参りに出かけ、親の観光もかねて4年をかけて高野山まで無事お参りすることができた。当時の車はクーラーもなく、カーナビもなく、遍路地図をハンドルに置き、暑い中、地図を見ながら、道に迷いながら、細い道(特にお寺付近)を運転した。毎日夕方にはくたびれ果て、無口になったものである。また、毎日適当な時間になると宿の予約も大変の作業であったが、父親との晩酌は非常に美味しく、楽しき時間であった。当時のことの記憶は鮮明であり、今でも時々思い出す。お参りの途中、観光地、温泉巡りもでき、少しは親孝行の真似ができたかもしれない。

 新車を買い、親との巡礼がきっかけとなり、わが家では、四国88ヶ所参りを兼ねて、家族で旅行することが多くなった。88ヶ所参りもお寺参りから巡礼参りへと変化し、長年をかけて4回お参りすることができた。また、人生最後の仕事として御影などを描画するきっかけを与えてくれた。亡くなった親や家内からの贈り物であろうと思っている。十分楽しみ、充実した日々を送りたいものである。

 新車のカローラを購入後、中古の車では修理代に苦労したこともあり、家内が新車を購入することを進めてくれた。返済に苦労したが、大きなトラブルもなく、各車とも10年以上のることができた。車で家内と日本をほぼ一周することもできた。親からの話がきっかけで、親、家内、子供達との楽しい思い出がたくさんできた。

2302)なぜ巡礼をするのか

 昔から巡礼者の参拝にとって非常に厳しい、いわゆる難所という寺がある。この寺参りで足を痛める人、歩く気力を無くする人、人の助けを求める人、耐え忍んでお参りをする人、数えきれないほどの心の葛藤が繰り広げられている。

 歩き遍路にとっては厳しいあるお寺での外国人との出会いの思い出です。お参りを済ませて車に乗ろうとすると、外国人から足を痛め、下りがきついので、登り口まで乗せていって欲しいと頼まれました。二つ返事で引き受け、荷物を置いてあるところまで送ってあげました。送ったのち、次の寺まで移動し(車で2時間程度か)、お参りを済ませて助手席のドアを開けると眼鏡が転げ落ちてきました。よく見ると老眼鏡ではないですが。それも、高価な眼鏡でした。思い当たるのは、先のお寺で載せてあげた外国人のものしか、思い当たるところがありません。かなりの距離を車で移動しているので、納経所に預けて置くかと思いましたが、歩き遍路には、2から3日かかる道のりであり、大変不便であろうと思い、引き返して外国人のお遍路さんにわたすこととしました。なかなか遭遇しないので、同じ道を何回も往復して、やっと巡り合うことができました。

 一安心して車を止め、眼鏡を外国人にわたしてあげました。その時、一瞬、耳を疑い、呆然としました。外国人から「ありがとう、何もあげるものがありません」の一言。この一言を残してさっさと歩いて行ってしまいました。ほんの数秒の出来事です。この一言を聞いて、我が耳を疑いました。外国人からするとお礼のつもりであったのでしょうが、物乞いに話すような口調であり、あっけにとられ、しばらく呆然となりました。歩き遍路をするほどの人がとも、思いましたが。次の寺へのお参りを諦め、必死に探した自分の行動が非常に馬鹿らしく、お人よしに思えたことはなかったです(このように思った自分も恥ずかしいですが)。人から見返りを求めて行ったことではありませんが、このようなぶっきらぼうな行動をとる外国人に少し嫌な気になったのは事実です。このこともあり、参拝は一日を残してやめてしまいました。

 歩き遍路をする外国人が多くなっていますが、なんのために歩き遍路しているのかと今も思っています。自分の自慢の経験の一つにしているのでしょうか。弘法大師の足跡をたどる弘法大師信仰の聖でもなったきぶんなのでしょうか。今でも顔と言葉の響きが耳にのこっています。この外国人を歩き遍路にかきたてたこころざしは何であったのかと今でも思っています。

 この外国人と車の中で話をしたおり、外国人はお寺の名前でなく、番号で覚えるとのことでした。番号から寺の状景を思い出すとのことです。日本人はお寺の名前から訪問したお寺の記憶を呼び起こす人がほとんどと思います。この外国人がとった行動とこの言葉が私には何となく気になっています。

2301-1)観音様と出会う

 若い頃(88ヵ所参りを始める前:20代後半)、寺の境内の見晴らしのよいところに座り、お参りする人を見学するのが好きであった。時々、寺で半日以上は、居座っていた。

参拝のタイプは、①先達の音頭で、整然と読経をあげる集団、②お参りはそこそこで、足早に納経所に行き、納経帳や掛軸などに朱印と墨書きをもらい寺を去る人、③一人、黙々と本堂と大師堂でローソク、線香をあげ、丁重に読経する人、④本堂や大師堂で手をあわし、声を上げす静かにお参りする人、⑤本堂と大師堂を参拝後、境内をくまなくお参りする人など、いろいろな人の姿を観ることができる。

 ある日、雨上がりで境内の所々に水だまりができ、天気の悪い日であった。上品で、気品のある女性(齢は60才前後か)が運転手を伴い参拝を終え、駐車場に向かう途中であったと思う。一瞬、目を疑うような光景に出くわした。弘法大師像の前に差し掛かった時、突如、泥道に跪き、弘法大師像に向かい、頭をぬかるんだ道につけ、拝む姿が目に入った。その人は拝み終わると、服に付いた土も払わず、車でお寺をあとにした。ほんの一分程度の出来事である。

 この人に何があったのか、分からないが、この人をここまで、行動を起こさせたものは、なにか。ここまでするこの人の心の動きはどのようなものか、この人がかもしだす雰囲気から想像もつかない。本当に美しい女性で、これ以後、このような女性に出くわすことはない。

 容姿から判断すると何不自由のない、裕福そうな女性に何がここまでさせるか。このような行動を引き起こした背景にどのような出来事があったのか。この人を取り巻く環境、この人の生きざまは今までどのようなものであったのであろうか。私には分からないし、理解もできないことであるが、この光景は未だ頭から離れない。これ以後、このような光景を出会ったことはない。

 しかし、このような光景を目にしたことは事実である。最近、私は人それぞれに仏が宿っているように感じている。その人に宿る仏がその人をよき方向に導いていると思うようになってきた。人は現実世界に身を置いており、その現実に振り回され、自分に宿る仏に出会う機会が少なくなっていると思う。お寺参りは自分に宿る仏に会いに行くことであると想っている。

 紹介した女性は自分に宿る仏と会話し、また、この人に宿る仏がこの人を取り巻く人々に宿る仏と引き合わせ、よき方向へと導く力を与えているのではなかろうか。この人は宿る仏と共にあり、仏と常に対話し、共に暮らしているものと想う。このことから、宿る仏が前面に出た安らかな気品高い雰囲気を漂わせ、紹介したような行動が生まれたものと想う。この人にとっては、何も特別ものでないのでないのであろう。私はきっと、この人に宿る観音様が導いたものと確信している。​

2212-1)お風呂に浮かぶ観音様

 大竜寺の麓にある民宿でのことである(今は営業していない)。太龍寺の参拝は途中まで車で登り、その後は徒歩でお寺まで登る、参拝に数時間を要する時期でした。往復すると若くしても疲れるお参りです。

 お参りを済ませ、夕方になったので、麓の同級生が経営する民宿で泊った時の出来事です。

 同級生がひと風呂浴びで一杯飲もうと言うこととなり、風呂に入りに行った時の思い出です。

 風呂は大きなものでないが、3人程度は入れる風呂でした。入口に行くと、白いスーツを着た短髪の若い人が立っており、変な人がいるものだと思いつつ。気にも留めず中に入り、脱衣場で裸になり、風呂場に入ったときのことです。湯煙の中に、観音様が浮かんでいるではないですか。びっくり(声は出しませんでしたが、・・・・)。一瞬、たじろぎましたが、失礼と思い、先に入って居る人に挨拶をして一緒に風呂に入りました。観音様はその人の背中に入れた入れ墨でした。立派な体格の人で、圧倒されるほど気迫にあふれた人であった記憶があります(少し、びびったかも・・・)。風呂の中で何を話したが覚えていませんが、少し時間がたつと、お互い少し馴染んだ雰囲気になり、話をしながらゆっくり風呂に入ったように思います。少し早く観音様は風呂を出て、少しして、風呂を出ると、その人がおり、私に今晩一緒に飲まないかとの誘いを受けました。これはと思いましたが、二つ返事でお誘いに応じることとしました。断ってはと思ったのも事実です。部屋に戻り、一時間程度ですが、二人で楽しいお酒を飲んだと思います(後ろに白いスーツのお兄様いては?)。同級生とは、お酒を飲まずじまいでした。

 次の朝、お礼を、と思い、同級生に訊ねると、相手の人は朝早く次のお寺に出発したとのことでありました。毎年、一回は88ヶ所をお参りに来られ、必ず同級生の民宿に泊まるとのことでした。

 その世界では、立派な親分であると同級生が言っていました。これを聞き、少しびびりましたが。

 大きなベンツに乗り、白いスーツを着た運転手付きで、贅沢なお参りのように思いますが、毎年、お参りに向かわせるその人の精神(心の動き)とはどのようなものか、何が、誰がその人をお参りに誘うのか、今でも不思議に思っています。歳から考えると、今は90才以上でないかと思いますが。

 88カ寺の御影(本尊のおすがた)を描くようになり、その人のことを時々思い出します。その度にきっと背中の観音様が、その人に宿る観音様が88ヶ所参りをさせているものと信じて疑わないにようになっています。大昔の出来事ですが、88ヶ所の御影を描画するようになって良く思い出す出会いの一つです。

 

 

 

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